アルプスの山たちを訪ねて②

2015年7月4日~7日朝

■7月4日(土)■
【地図説明】

4日朝、グリンデルワルトからバスでルツェルンへ。(地図上の茶線部分)
ルツェルン市内観光の後、バスでアンデルマットへ。(薄茶線)
アンデルマットから氷河特急でツェルマットへ。(赤線)
ツェルマットから登山電車でゴルナーグラードへ。(紫線)

  (以下、ツェルマット地区の地図へ)

7日、ツェルマットからエッシネン湖(地図の⑦)を経由して、モンブラン地区へ移動。
 グリンデルワルトを9時に発ったバスは、10時半前にルツェルンに着いた。

 ここで、スイスの歴史に触れておこう。
 ドイツが神聖ローマ帝国を治めていた頃、ドイツからローマへの最短ルートはアルプスを縦断するゴッタルド峠越えだった。私たちは、この後そのルートを通って峠手前のアンデルマットまで行く。つまり、ルツェルン周辺は峠のすぐ北という位置から、関所や宿場町として栄えた。この地域で力を振るったハプスブルク家の強権に対抗して、1291年8月1日、ウリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3地域の代表が湖畔のリュトリに集まって「永久同盟」を結んだ。これをスイスの「原初3州」といい、建国の礎となった。ウィリアム・テルの話が登場するのも、この頃である。
 「永久同盟」誓約後、数回にわたってのハプスブルク家の攻撃を何とかしのぎ、1332年にはルツェルン、1351年にはチューリヒ、1353年にベルンなどが加わり「8州同盟」となる。最終的には現在の26州になるのだが、建国時の中心はここルツェルン周辺であり、当地が首都のこともあった。

 ルツェルンはフィアヴァルトシュテッター湖の西端にある。この長い名前の湖は、「4つの森の国の湖」という意味で、単にルツェルン湖と呼んでも差し支えないようだ。中世の色合いを今に残す旧市街を1時間あまり散策した。
 まず、ライオン記念碑を訪れた。今は精密機械や観光で所得も物価も高いスイスだが、近世以前のスイスは貧しかったそうだ。傭兵が貴重な“輸出品”で、1792年のフランス革命では、民衆からルイ16世とマリー・アントワネットを守ろうとして786名のスイス兵が命を落としている。この傭兵たちの死を悼んで造られたのが、ライオン記念碑(瀕死のライオン像)だ。
 湖畔に戻り、カペル橋から旧市街の中心部を歩いた。カペル橋は、湖に架かるヨーロッパ最古の屋根付き木橋である。1333年の完成というから、「永久同盟」直後の歴史の証人である。この橋が東の砦、少し先にあるシュプロイヤー橋が西の砦で、まさにここがスイスの防衛戦だったわけだ。
 カペル橋の周辺にはイエズス教会、フランシスコ教会、ホーフ教会、ザンクト・ペータース教会と4つの教会があり、デザインはそれぞれ異なるが、すべてカトリック教会だ。宗教改革当時、反改革派の中心だったルツェルンならではの光景らしい。その辺のことには正直暗い。

 再びバスに乗り、アンデルマットに向かった。高速道の途中から、土曜日の混雑を避けるために迂回し、急な渓谷の道を一気に上がり、13時頃、駅に近いレストランに到着した。

フィアヴァルトシュテッター湖と遊覧船。湖畔の尖塔はホーフ教会 ライオン記念碑。1792年のフランス革命の際、命を落とした786名の傭兵を悼んで造られたものである。当時のスイスは貧しく、兵は貴重な“輸出品”だった
大きな岩に身を横たえるライオンは、脇腹に槍が刺さり、息も絶え絶え。“瀕死のライオン”とも言われる 町のシンボルであるカペル橋。川の中に建つ八角形の塔は、湖からの敵の襲来を早く見つけるための見張り台だった。対岸に見えるタマネギ形ドームはイエズス教会
木造の橋としてはヨーロッパ最古。1993年の火災で一部が焼け、修復されている 橋の側面には綺麗に花が飾られている
花々は今が盛り 橋の梁には、聖人の生涯と町の歴史を描いた三角形の絵画が100枚掲げられている
旧市庁舎とザンクト・ペータース教会。橋のたもとに礼拝堂(カペル)があったので、カペル橋の名が付いた。1333年完成で、湖から襲ってくる敵から町を守る東の砦だった 川畔にはたくさんの出店が軒を連ねていた。こちには「八百屋」さん
こちらは「惣菜屋」といった感じの店 骨董屋さん。アンチークと言うよりクズ物が一杯
ロイス川の川幅が狭まり流れが速くなる地点。右が水位を調節するロイス川の堰で、昔は製粉所の水車に水を引いていたらしい。川に架かるシュプロイヤー橋は、1408年完成の木橋で、旧市街の西の砦。橋の右奥にムーゼック城壁が見える 旧市街の建物には見事な壁画が描かれている
壁画、その2 壁画、その3
旧市庁舎を川の裏側から見ると… ルツェルンからアンデルマットに向かう途中、バスは渓谷を一気に上がっていった
間もなくアンデルマット 昼食時に黒ビールを飲んだ
 アンデルマットは、標高1400m余の高地で、これから乗車する氷河特急の中間地点である。
 氷河特急(グレッシャー・エクスプレス)は、標高1775mのサンモリッツを発車すると604mのライヒェナウまで下り、そこから路線中最高地点のオーバーアルプパスヘーエ(2033m)まで上って1435mのアンデルマットにやってくる。ここまでおよそ4時間50分。特急という名は付いているが、平均時速35kmの列車だ。アンデルマットを出ると、ブリーク(670m)の少し先まで下り、そこから1604mのツェルマットまで上がっていく。この区間の所要時間が2時間50分。大雑把に言えば、1000m規模のアップダウンを2回繰り返すわけだ。

 私たちは、15時08分発の列車に乗った。“プチブルジョア”ツアーだから当然1等のパノラマカーだ。1車輌に乗っているのは我がパーティーだけで、こんなことが許されるのだろうかと思うほど贅沢。と思っていたのは束の間、異常高温だから陽射しが強すぎて冷房が効かない。これには閉口した。

 アンデルマットの近くにあるフルカ峠を源とするローヌ川は、レマン湖へと注ぐ。氷河特急が下り続けるブリークまでの区間は、ローヌ川の川筋にあたる。つまり、ローヌ川の北がユングフラウのあるベルナーアルプスで、南がマッターホルンのあるツェルマットエリアである。私たちは今、エリア移動をしている。
 ツェルマットのある地域はヴァリス州で、ヴァリス地方の山々のことをヴァリスアルプスと言う。

 私の旅行記の蘊蓄は、旅行中に添乗員のOさんから聞いた記憶をベースに、資料を引いて書いている。Oさんのデータベースはどうなっているのだろう。ほとんどカンペのようなものもなく、周囲の景色の移ろいを見ながらリアルタイムに実に深い説明をしてくれる。プロといえど、ベテランといえど、スイスのこのコースを何度も辿っているわけではないのに…。実に感心する。
 そんなOさんの真骨頂を見る場面が、このあと突如やってきた。
 列車が登りにかかり、あと半時間ほどでツェルマットに到着するという地点までやってきた。添乗員さんは、19時24分の最終便の予約を18時24分乗車に変更する段取りを始めた。山の上に早く着けば、その分ゆっくりとマッターホルンを愛でられるというわけだ。とその時、列車が止まった。時計は17時45分を指していた。
 5分が過ぎ、10分が過ぎ…、日本のような車内放送の類いはない。やがて18時24分を諦め、30分が過ぎても動かなかった。動かない列車に最終便乗車の危機を感じたOさんが、動き始めた。
 車掌とのやりとりで、単線路を共有する対向車両に何らかのトラブルが起こっていることが分かった。しかし、原因も復旧のメドも分からなかった。Oさんは会社や駅やホテルに電話をかけ、ツェルマットまでバスで入ることを模索した。ツェルマットはガソリン車を排除しており、小型の電気自動車しか走っていない。大型バスを用意しても1駅手前までしか行けない。そうした事情も含めて、クルマを用意しようとした。ところが、悪いことは重なるものだ。ツェルマットでマラソン大会があって、帰りの人たちで町は大混雑しているらしい。
 停車から55分が経った頃、車掌がOさんの勢いに圧倒されたか、私たちの機嫌取りにやってきた。ビールやミネラルウォーターを無料で提供すると言う。私は素直にビールに釣られた。
 1時間が過ぎると、さすがに今宵の宿が心配になってきた。19時24分の最終電車に乗り遅れると、山上のホテルに辿り着く術がない。2つの電車の駅は近いが、別々の私鉄だから、連絡や連携はない。そこがOさんの交渉力のスゴイところ。次の乗換駅から、列車が着くまで発車を待つという約束を取り付けたのだった。昨今、危機管理能力などということがどこの職場でも声高に言われるが、この人のそれはスゴイの一言に尽きる。
 結局、19時過ぎになって列車は動き出し、19時30分にはツェルマット駅のホームを必死に走っていた。そうそう、この1件ではツェルマット在住のOさんのご友人にも随分お骨折りいただいた。感謝、感謝。

アンデルマットの町並み。ここは、標高1400m余の高地。スイス国旗の下にウリ州の州旗が掲げられている 氷河特急の上空にパラグライダーが…
氷河特急が九十九折りにゆっくりと山を下りてくる サンモリッツからツェルマットの間を約8時間で走る氷河特急の中間地点がアンデルマット。アンデルマット駅(1435m)の手前が、オーバーアルプパスヘーエという2033mの最高地点。電車は600mを一気に下ってくる
15時08分のGlacier-Expressに乗る 氷河特急の先頭車両
アンデルマットを出てしばらくすると、全長15407mの新フルカトンネルに入る。トンネルができる前、フルカ峠ではローヌ氷河が線路に迫っていた。氷河特急の名前の由来は、ここにある。もっとも、旧線路が復活したとしても、氷河の衰退で間近に見ることはできないそうだ 氷河特急の1等席はパノラマ車輌
アンデルマット(1435m)からブリーク(671m)の少し先まで下った列車は、ツェルマット(1607m)へと一気に上がっていく。アプト式ラックレールが採用されている 列車が停車した辺りの車窓から、ブライトホルン(4164m)と右の小峰クライン・マッターホルン(3883m)が見える
車掌さんがビールを出してくれた 車窓風景。山名は不明
【地図説明】

○4日はツェルマットから登山電車でゴルナーグラートへ。ホテル泊。
○5日は電車で1駅下って、ローテンボーデンからリッフェルベルクまでハイキング(地図上の「コース⑨」)。
 その後、ツェルマットへ戻って、スネガ・パラダイスへ。さらに、ブラウヘルトまで脚を伸ばす。
○6日は、シュバルツゼーまで上がって、ツェルマットまでハイキング(コース⑫)。
 氷河特急の私たちが乗った区間はマッターホルン・ゴッタルド鉄道で、これから乗車する列車はゴルナーグラート鉄道という。道を隔てて両駅がある。
 19時30分過ぎ、定刻を10分ほど遅らせてくれた最終便は、標高1620mのツェルマット駅を発車した。ここから33分で、3089mのゴルナーグラート駅に到着する。終点には展望台とホテルがあり、私たちはそこに泊まる。列車が駅に着いた時、時計は8時(20時)7分を指していた。

 3100クムルホテル・ゴルナーグラートは、その名の通り標高3100mに建つ絶景の山岳ホテルである。登山電車が開通する2年前の1896年にオープンしたというから、120年も前から槍ヶ岳の頂上よりも高い所でホテルを営業していたことになる。スイス人、恐るべし。全23室で、各部屋には周辺にある名峰の名が付けられ、部屋番号はその山の標高と同じになっている。私たちの部屋は「4545DOM」で、ドム(4545m)は山全体がスイス領にある山としては最高峰だ。部屋の窓からは、マッターホルンが正面に見える。朝晩のマッターホルンが好きなだけ眺めていられる、何というしあわせ。
 実を言うと、旅行前にチェックしたツェルマットの天気予報では、4~6日の予報が芳しくなかった。深く山岳部に入り込む“プチマニアック”ツアーゆえ、天候次第で旅は天と地ほど違ってくる。事実、列車で上がってくる頃はマッターホルン周辺の雲は結構厚かった。それが、時間とともに晴れていっている。幸運の女神は、私たちに微笑もうとしていた。

出発してすぐ、マッターホルンが大きく迫ってくる ゴルナーグラート鉄道の車輌。この対向車も私たちに合わせて遅れているのだろう
マッターホルンの上空に陽が差してきた 終点の1駅手前がローテンボーデン駅。明朝、この駅からハイキングする
ブライトホルン(4164m)、左の傾いた三角形はロッチャ・ネーラ(4075m) ブライトホルンの左に見えるのがポリュックス(右4092m)とカストール(左4228m)。ふたご座の星と同じ名だ
ブライトホルンとその右にクライン・マッターホルン(3883m)。氷河特急から見えていた山だ ポリュックス、カストールの左はリスカム(4527m)。スイスで3番目に高い山だ
行く手の台上に展望台とホテルの建物が見える これがゴルナーグラート展望台とホテル
列車がゴグナーグラート駅に着いたのは20時7分だった。到着を待って、下りの最終が発車した。 3100クルムホテル・ゴグナーグラートは、標高3100mに建つスイスを代表する山岳ホテル。22室しかなく、宿泊するのが難しい。
山ヤギの一種、アイベックスが塩をなめに来ていた 塩をなめるアイベックス
 チェックインが20時15分にもなってしまったため、部屋割りの後すぐに夕食になった。食事の最中に日の入りが近づいてきた。ホテルの人たちも、客が何を期待しているか百も承知している。私たちは、ナイフとフォークをカメラに持ち替え、外に飛び出た。

20時57分、日の入りが近づく。足元がゴルナー氷河で、左のモンテ・ローザ゛を源とする。 夕照に輝くリスカムとグレンツ氷河
リスカムの左がグレンツ氷河で右がツヴェリングス氷河 ブライトホルンの左がシュヴァルツ氷河、右がブライトホルン氷河、さらに右がウンタラー・テオドール氷河。みんな集まり合い、せめぎ合いゴルナー氷河を成す
マッターホルンの背後の空が染まってきた この山姿を見たくてスイスまで来た
正面が東壁、右が北壁。北壁が夕陽に照らされている 左の山、モンテ・ローザ(4634m)はスイス最高峰だが、頂上の向こう側はイタリアだ。夕照で僅かに赤っぽく見えるが、このアーベントロートによる色づきこそが“バラ色の山”と呼ばれる所以である
リスカムとポリュックス、カストールに西日が差す ポリュックス、カストールからブライトホルン
リスカムの雪が綺麗に染まってきた グレンツ氷河の奥が白く輝いている
西の稜線に日が沈もうとしている これらも4000M級の峰々なのだが…
21時00分、日の入り 日の入り直後の夕焼けがキレイだ。マッターホルン上空の雲がとれてくれたことと、絶妙のバランスで雲が残ってくれたことに、ただただ感謝
マッターホルンの後ろが夕焼けに染まっていく なんと感動的な風景だろう
さらに赤みを増すグレンツ氷河 リスカムもバラ色に
残照-1 残照-2
残照-3 残照-4
グレンツ氷河上空の雲に差す残照 モンテ・ローザは上空の雲の影響で、とびきりのバラ色を見せてくれることはなかった
21時04分、グレンツ氷河は今まさにバラ色 グレンツ氷河の向こうにイタリアアルプスの頂上が見えている
オレンジ色の雲を纏うマッターホルン マッターホルン頂上の雲が吐息のよう
 夕食のテーブルに戻っても、興奮はしばらく収まらなかった。
 部屋に戻り、シャワーを浴びた。バスタブこそなかったが、この高山でシャワーが使え、水洗トイレが使える。ここは、歴とした一流ホテルなのだ。そして窓の向こうには、マッターホルンがある。遅くまで、マッターホルンの黒い影を眺めて過ごした。

22時08分、夜の帳が降りたマッターホルン 西の空に星が輝いていた
22時10分、モンテ・ローザ方面の夜景。モンテ・ローザの中腹右に、モンテ・ローザ小屋の灯りが見えている 22時15分、本日のラストショット
■7月5日(日)■
 天気はどうだろう。雲は出ていないだろうか。--5時前に起きた。窓の外は晴れている。
 早速、窓越しにシャッターを切り、5時45分過ぎに表に出た。朝の冷気が心地よい。ホテルの裏というのがゴルナーグラート山の山頂(3130m)で、そこに登れば360度の展望が開ける。そこで、日の出を待った。
 5時54分、マッターホルンの先端に朝陽が当たり始め、それからおよそ30分間とびきりの「モルゲンロート劇場」を堪能した。ヴァリスアルプス36峰が見えるとガイドブックなどには書かれている。数は定かでないが、360度何れの方角を見渡しても、4000m級の峰が見える。それも朝の澄んだ空気と斜光の中だから、写真を撮るには申し分ない。この日の朝だけで、実に200枚以上も撮った。

 7時から朝食を摂った。少し離れたテーブルに二人の日本人女性が座っていた。ああ、あの人たちだなとすぐに分かった。
 話は昨日に戻る。私たちの列車が立ち往生していた頃、1時間後の氷河特急に彼女たちは乗っていた。添乗員のOさんがあちこちに連絡をとっておられた中で、その情報を得た。私たちはOさんの機転と折衝力で何とか事なきを得たが、彼女たちの語学力では事態を打開する術がなかった。結局、ホテルに電話してきたのをOさんに取り継いでもらい、点検用の作業列車に乗車させてもらうことで、遅くにホテルに辿り着いたという次第だ。

5時04分、ブライトホルンの上空に月が出ていた 夜明け前のブライトホルン
ゴルナーグラート駅とマッターホルンも未だ静寂の刻 5時27分、マッターホルンが少しずつ明けていく
ホテルの部屋からマッターホルンが見える 5時38分
5時54分、マッターホルンの先端に朝陽が当たり始める モルゲンロートのドラマが始まる
マッターホルン頭部がモルゲンロートに染まる 神々しくさえある山姿に心震える
これを見たくて、このツアーに来たようなものだ 6時00分、陽射しが中腹まで下りてくる
光と陰のコントラストが山の厚みをつくっていく 朱からオレンジに色合いが変わってきた
リスカムの山頂に朝陽が届いた モンテ・ローザの頂上が輝き出す
リスカムからポリュックス、カストールに朝陽が伸びる ブライトホルンにも朝の光
ゴルナーグラート山の頂上からホテル越しにマッターホルンを望む。正面の山はダン・ブランシュ(4357m) ブライトホルン上空には月が残っていた
頂上に立つとモンテ・ローザとゴルナー氷河の始まりが見える ゴルナー氷河の流れ出し部分
モンテ・ローザから左にのびる稜線。マッターホルンとは反対側に見える山たちだ 東の空が朝陽に染まる。ロープウェイ駅の向こうに見えるのはリンプフィシュホルン。左の写真の同位置、右の山はシュトラールホルン(4190m)のようだ
リンプフィシュホルン(4199m) リンプフィシュホルンの左にアラリンホルン(4027m)
上の写真からさらに左の稜線。右から2つ目の山がヴァイスホルン(4505m)、中央の山がツィナールロートホルン(4221m)、少し離れてオーバー・ガーベルホルン(4063m)、左端がダン・ブランシュ(4357m)。ここからやや離れた左にマッターホルンがある。 ヴァイスホルン(4505m)とツィナールロートホルン(4221m)の間にあるシャリホルンだって3974mの高山だ
6時05分、陽射しがマッターホルンの裾を照らすようになった ゴルナーグラート展望台とマッターホルン
山裾の雪が赤く染まっている マッターホルン全山がモルゲンロートに包まれる
ゴルナー氷河上空に飛行機雲ができていく モンテ・ローザの雪の断面を朝陽が染める
オレンジ色の陰影がブライトホルンを浮かび上がらせる 朝陽の中に月はまだその影を残していた
ヴァイスホルン(4505m)は、モンテ・ローザ、ドム、リスカムに次いでスイスで4番目に高い山だ ツィナールロートホルン(4221m)が朝の斜光できれいな三角錐を形作った
オーバー・ガーベルホルン(4063m)も朝陽に染まっている ヴァイスホルンの上空を飛行機が飛んでいく
6時20分、朝陽がマッターホルンのなだらかな所にも届くようになり、雪が茜に染まっている マッターホルンのモルゲンロートは今最高潮に
マッターホルンからブライトホルン方向に延びる稜線、正面がテオドール氷河 オーバー・ガーベルホルンの周辺も氷河に覆われている
6時45分、マッターホルンを包む陽光は昼間のものに変わった マッターホルンの頭部が背後の山肌に大きな影をつくっていた
マッターホルン山頂部 150年前の7月14日、イギリス人のエドワード・ウィンパーがこの頂に初めて立った
各所のロープウェイ乗り場が見える-1 各所のロープウェイ乗り場が見える-2
各所のロープウェイ乗り場が見える-3 3100クルムホテル・ゴルナーグラート
ドーム屋根のすぐ右下の窓の部屋に宿泊した ゴルナーグラート鉄道とマッターホルン
 9時31分のツェルマット行きに乗り、1駅先のローテンボーデンで降りた。ローテンボーデン(2815m)からもう1駅先のリッフェルベルク(2582m)まで、3kmあまりをハイキングする。高嶺を見上げ、氷河を眺め、湖面に映る逆さマッターホルンにうっとりし、咲き競う花たちを愛で、さらにはマーモットに出会い、…のんびりハイキングは11時45分に目的地であるリッフェルブルクのレストランに到着した。

山を登るゴルナーグラート鉄道とマッターホルン。車輌の先頭を上に辿り、緑色が途切れた辺りが明日のハイキングの出発点。ぐるっと右に回り込んでから右下方向のツェルマットまで下る。緑色のすぐ上に見えるグレーの帯は、かつて氷河が流れた痕跡のモレーン ブライトホルンを背にしたハイキングコースの表示板までがカッコイイ。ちなみに、標識が黄色一色だと初心者コース、先端が白地に赤い線になっていたら経験者向けコース
ゴルナー氷河が近くなってきた ここからはモンテ・ローザ(4634m)が綺麗に見える
リスカム(4527m) カストール(左4228m)とポリュックス(右4092m)
ブライトホルン(4164m) クライン・マッターホルン(3883m)
ウンタラー・テオトゥル氷河 オーバー・ガーベルホルン(4063m)
ツィナールロートホルン(4221m) ヴァイスホルン(4505m)
ダン・ブランシュ(4357m) ゴルナー氷河
氷河を覆う雪が溶けていっている シュヴァルツ氷河がゴルナー氷河とぶつかる地点
リッフェルゼーに向かって下りていくハイキングガイド(先頭)とツアーパーティーの7人 リッフェルゼー(2757m)は、逆さマッターホルンが映る湖として超人気のポイント。晴れていてよかった、風がなくてよかった
リッフェルゼーに映る逆さマッターホルン 2 リッフェルゼーに映る逆さマッターホルン 3
リッフェルゼー(2757m)のすぐ下にあるのがウンター・リッフェルゼー(2740m、ウンターは「下」の意)。リッフェルゼーも大して大きくはないが、こちらはさらに小さい ウンター・リッフェルゼーに映る逆さマッターホルン 2
左から迫っているのはリッフェルホルン(2927m)の北壁
ウンター・リッフェルゼーに映る逆さマッターホルン 3
ハイカーの映り込みもまた絵になる
ウンター・リッフェルゼーに映る逆さマッターホルン 4
マッターホルンの下部にある山小屋が見える
中央左が明日のハイキングコースの始まり 山と山との合間からモンテ・ローザが見える
ツィナールロートホルン(4221m)からヴァイスホルン(4505m)への稜線が見える 遥かにユングフラウの山並みが見える
ハイキングコースから見える山並み。中央がダン・ブランシュ(4357m)、少し離れた右がオーバー・ガーベルホルン(4063m)、一番右がツィナールロートホルン(4221m) ハイキングコースから見える山並み。右からリンプフィッシュホルン(4199m)、白く雪を被ったアラリンホルン(4027m)、丸みを帯びた山がアルプフーベル(4206m)、その隣の双耳峰に見える右がテーシュホルン(4491m)で左がドム(4545m)、さらに左奥がスティックナーデルホルン(4241m)とホーベルクホルン(4219m)。さりげなく、4000m超の山が7座も見えている
やや離れた草地にマーモットを発見 マーモットは巣穴で生活し、大きなファミリーを構成している。今は冬眠に備えて一生懸命に食べ、まるまると太っている
登山電車がリッフェルブルクの駅に近づく ゴルナーグラート行きとツェルマット行きの電車が出会う
ゴールのリッフェルブルクはすぐそこだ 右がリッフェルブルク駅(2582m)で左奥が昼食を摂るレストラン
昨日のツェルマットマラソンのゴールがここ。ランナーは1000m近い標高差を駆け上がってきたことになる。それでも物足りないランナーは、さらに上まで走ったそうだ。 11時45分、ゴール
昼食はポークとやっぱりジャガイモ 歩いた後はビールがウマイ
マッターホルンを背に風にはためくスイス国旗(右)、ヴァリス州旗(中)。左の旗は多分この地域の旗 ゴルナーグラート鉄道はもはやこの大自然の一部だ
 ユングフラウに限らず、この地域もまた異常高温の影響で花が一気に開花した。この日のガイドも関東地方出身の日本人女性だった。彼女もまた、7月下旬から8月のガイドはどうなることかと憂えていた。

アルペンスミレ アザミ
キジムシロ スミレ
チョウノスケソウ
ミヤコグサ ミヤコグサ
ホシガタリンドウ ワタスゲ
ホシガタリンドウとコケマンテマ
アルペンスミレ ホシガタリンドウ
ミヤマセンノウ ホモジネ
ミネズオウ ウサギソウ
 ツェルマット駅に戻った私たちは、そこから目と鼻の先にあるシュロスホテルにチェックインした。
 昨晩は山上のホテル泊だったので必要な物だけ手荷物として持ち、スーツケースは駅からこのホテルに届けられていた。そして、昨日の着替えなどの荷物もまた、私たちより先にホテルに着いていた。それと言うのは…昨日、Oさんの計らいで、ツェルマット在住のご友人に駅でスーツケースを貸していただいた。それに全員の不要荷物を詰め、今朝の電車でツェルマットのホテルに「宅配」されていた。おかげで私たちは快適なハイキングを楽しめた。とりあえずそれらの荷物を整理し、再び外に出た。

 駅前から少し歩き、町を流れるマッターフィスパ川を渡った所にスネガ展望台行きの地下ケーブル駅がある。この地下ケーブルは、標高1620mのツェルマットから2288mの展望台まで、高低差668mの急勾配をわずか3分で運んでくれる。「トンネルを抜けると、山だった…」というわけだ。
 光線の関係上、もともと午前中の展望がいいのだが、おまけに雲が出てきた。スネガ・パラダイスの展望レストランから見るマッターホルンも楽しみにしていたのだが、ゴルナーグラートを体験したあとではやはり感動が落ちる。
 ツアーとしてはそのままケーブルで下りることになっていたのだが、ここで解散して自由行動になった。スネガからロープウェイが出ていて、7分でブラウヘルト(2571m)、さらに乗り換えて5分でロートホルン(3103m)に着く。私たちを含む6人は、ブラウヘルトまで上がった。自分たちで切符を買うのもいい経験だったが、正直いくらか英語が話せる人と一緒だったから何とかなった。
 ブラウヘルトに着いた頃、マッターホルン上空の雲がとれた。ここで見るマッターホルンは、ゴルナーグラートで見るそれとは趣が違っていた。ゴルナーグラートからは東壁が正面に大きく見え、北壁の面積が小さい。そして、頭を左に傾けているようにみえる。それがここでは、東壁と北壁が等分に見え、壁の稜線が正面にある。これはまたこれで美しい立ち姿だ。

スネガ・パラダイスから見るマッターホルン 展望レストランに座ってビールを飲みながら眺めるマッターホルンもいいだろうなあ…今回は実現しなかった
ブラウヘルト(2571m)のロープウェイ乗り場とマッターホルン マッターホルン東壁(左側)と北壁(右側)を分ける稜線が正面に見える
この立ち姿も、またいい ハイキングコースが各所に延びている。上級者向けコースが多いようだ。赤い標識は、サイクリング者向けのもの
右がヴァイスホルン(4505m)、中央がツィナール・ロートホルン(4221m)、左がオーバー・ガーベルホルン(4063m) ロートホルンへ上がるロープウェイとヴァイスホルン
ヴァイスホルン(4505m)は大きくてきれいな山だ オーバー・ガーベルホルン(4063m)
オーバー・ガーベルホルンから流れ出す氷河 槍ヶ岳を彷彿させるオーバー・ガーベルホルン
ホシガタリンドウ オキナグサ
ウサギソウ
スネガとブラウヘルト間のロープウェイ スネガからライゼー・シャトル(無料)に乗れば、50mほど下のライゼーまで運んでくれる
ライゼーの湖畔では日光浴をしている人たちがいた。湖には対岸に向かってロープが張られていて、それを伝って木舟でわたって遊ぶ子どもの姿もあった。周辺の牧草地は、花の季節を迎えていた。 ツェルマット駅に着いた地下ケーブルカー。この傾斜角がスゴイ
 ツェルマットでは、シュロスホテルに連泊する。最近ホテル名が変わったようでガイドブックには以前のものしか載っていないが、4つ星レベルのいいホテルだ。
 夕食は、メインストリートであるバーンホフ通り沿いの妙高という日本料理レストランが予約されていた。ハイキングガイドさんが「妙高ですか」と羨ましがっていたが、なんでも目玉が飛び出すくらいに高いらしい。私は、純和食の刺身定食を食べたが…。うーん、味はそれなりに美味ではあったが、量的には物足りなかった。そもそも、スイスまで来てなんで日本料理を食べなきゃならないのか、理解に苦しむ。そうそう、ビールも日本のサッポロだった。

 ホテルのトイレが面白かった。便器が四角形だ。昔、ドイツでお目にかかっているので驚きはしなかったが、初見の際はある種のカルチャーショックを受けたものだ。
 トイレついでにボヤキとウンチクを。
 まずはボヤキから。男性用の小便器は床まで便器のものはなく、しかも設置位置が高い。時には背伸びしなければならないほど高いものがある。東洋人をバカにしているのかと言いたくなる。ユニバーサルデザインを考えてもらいたい。ホテルのトイレは男女共用だからその心配はない。ところが、これまた便座の位置が異様に高いものがある。足裏がしっかりと床に着かないことがある。さらには、このホテルは洗面台も高い。顔を洗うと、手にすくった水が肘の方に伝ってくる。どうやら180cmを標準と考えているようだ。
 ウンチク。トイレットペーパーの柄がどこへ行っても一緒で、メーカーが1つなのかと不思議だった。ところで、そのペーパーだが…。ずいぶん昔、日本航空の国際線パイロットが、行く先々のホテルのトイレットペーパーをコレクションした。それらを比較検討した結果、日本のペーパーは柔らかく、西欧のものは硬いことが分かった。氏は、その違いを便の硬さの違いに依ると考察していた。つまり、ご飯を主食とし野菜を多食する日本人の便は軟らかく、それに用いるトイレットペーパーも柔らかい方が都合良い。対する肉食の西欧人の便は硬く、ペーパーも日本のものと比べて硬いもので良い。--そんな記事(多分新聞だったと思うが)を読んだことがある。妙に納得して今も記憶にあるのだが、実際に使っているスイスのペーパーは日本のものと大差なかった。

シュロスホテルの玄関 トイレの便器が四角形だった。スイスはドイツの影響が大きいようだが、そう言えば以前ドイツでもこんな便器を見てある種のカルチャーショックを受けた。
日本食レストランでは日本のビールが出てきた。ラベルは「33cl」とヨーロッパ仕様だった レストラン妙高の刺身定食
■7月6日(月)■
 6時40分ごろ、ホテルから駅の周辺を歩いてみた。ホテルの玄関先からは、マッターホルンが見えていた。

ホテルの玄関先からマッターホルンが見える ホテルの庭
電気自動車のタクシー トラックも電気自動車
 乗り合いバス(これも当然電気自動車)で村の奥まで行き、ロープウェイでシュヴァルツゼー(2583m)まで上がった。ここから1620mのツェルマットをめざして、高低差963mを下る10kmあまりのハイキングが始まる。
 シュヴァルツゼーはマッターホルンに最も近い展望台で、東壁と北壁の稜線の延長上から岩峰を見上げることになる。ハイキングコースはマッターホルンの北麓に大きく回り込み、シュタッフェルのレストランの所でくの字に折れてツェルマットへ下っていく。
 コースを進むほどに東壁の面積は狭まり、次第に北壁が正面に見えるようになる。シュタッフェルからは、ほぼ北壁だけのマッターホルンが眺められる。つまり、東壁と北壁の稜線がくっきりと浮かび上がるのだが、これがほぼ登山ルートである。イモトは凄い所を登ったものだ。もっとも、イモトの場合、下りはヘリコプターを使ったそうだが…。と裏事情を知っても、べつにケチをつけるつもりはない。登山家としては落第でも、素人としてはスゴイ。

 シュタッフェルのレストランから少し先にミルク小屋があって、そこで小休止をとった。ミルクを待っていたところへ、別の日本人パーティーがやってきた。
 余談だが、ヨーロッパの人たちの場合、ハイキングというのは山の頂上に向かって登ることだ。日本人旅行者は、100パーセント下りコースだ。私は、個人旅行だったら間違いなく登る。
 このハイキングコースは、私たちのツアーが“プチマニ”ツアーだからこそセットされている。したがって、ワッペンをつけた日本人の団体を見かけることはなかった。そこへ、何人もの日本人が日本人ガイドとともにやってきた。自然と言葉を交わし、ツアー日程に話が及んだ。一部の人たちは21日間、別の人たちは28日間。私たちが“プチマニ”ツアーなら、この人たちのは“マジ・マニアック”ツアーだ。スイス旅行では、どうも特別な人たちに出会うことが多いようだ。

 大自然の中で暮らす人たちの時間は私たちのものとは違うらしく、僅かばかりのチーズを切り分けて譲ってもらうために45分ほども要した。小休止が大休止になってしまったわけで、先を急いだ。
 途中、ツムットというヴァリスの伝統的な家が20軒ほど集まる集落を通り、咲き誇る花々を右左に見つつ、ツェルマットまで下った。

バスを降りて、ロープウェイ乗り場に向かう。村を南北に流れるマッターフィスパ川は、鉱物で白く濁った激流だ マッターホルンの先端は雲の陰
ローブウェイから見えるツェルマットの村が小さくなっていく 正面にリスカム、下にはゴルナー氷河の流れてきた先が見えている
シュヴァルツゼー駅とマッターホルン。ここはマッターホルンに最も近い展望台だ ブライトホルンに向かって歩き出し、レストランの手前を右に折り返す。高低差963mを下る10kmほどのロングハイキングコースの始まりだ
左下の黒い部分がシュヴァルツゼー(黒い湖) マッターホルンのヘルンリ小屋(3260m)
シュヴァルツゼーへ下りていく。右の建物は礼拝堂 シュヴァルツゼーの湖面にブライトホルンが映る
リンプフィシュホルン(左4199m)とSTRAHLHORN(右4190m)。流れ出ている氷河はフィンデル氷河で、ゴルナーグラートを中心に見るとゴルナー氷河と反対の谷になる ツムット氷河とモレーン
マッターホルン北壁の氷河
東壁の面積がウンと小さくなり、北壁が迫ってくるようになった ツムット氷河
まるで日本庭園のようなハイキング道 北壁の下部に広がる「日本庭園」
マッターホルンはほぼ北壁だけになった 稜線が浮かび上がる。これがほぼ登山ルートだ
険しいマッターホルンも麓では優しい顔を見せる 沢沿いにアルペンローゼが咲いている
ハイキング道に牛が休んでいた 牛たちは皆、立派なカウベルをつけている
花盛りの牧草を食む牛 牛舎の屋根のスレート。スレートは粘板岩の石材で、日本でイメージするものとは違う。1軒分の屋根で1000万円ほどもかかるそうだ
ミルク小屋で小休止。濃厚ミルクを飲み、チーズを買い求めた 搾りたて濃厚ミルク
ツムットという古くからこの地に暮らす人たちの集落が見えてきた 軒を寄せ合って建つツムットの集落
村はずれでみかけた伝統的な高床式倉庫のシュターデル 柱と床の間に円盤状の石「ネズミ返し」がはさまれている
村近くまで下った所でアザミの蜜を吸うチョウをみかけた アポロウスバシロチョウ。ヨーロッパで最も人気が高く、ヨーロッパを代表する蝶だそうだ
 このハイキングでもまた、多くの花たちとの出会いがあった。

ワタスゲ アザミ
アルペンアスター
シロツメクサ
ホタルブクロ セネキオインカゲス
クモノスバンダイソウ イブキジャコウソウ
タマシャジン アルペンローゼ
タマキンバイ イチヤクソウ
アザミ
 ツェルマットでの昼食はフリーになっていたが、Oさんに予約してもらってみんなでチーズフォンデュを食べに行った。13時過ぎにレストランまで辿り着いた時、たまたま店の表でアルプホルンの演奏が行われていた。少しの時間であったが、予定になかった「音楽会」を楽しむことができた。

 午後からは完全なフリータイムで、土産物を買ったりしながら過ごした。ホテルやレストランの窓辺はどこも皆花が飾られ、それを見ながら歩くだけでも飽きることはなかった。
 駅前の広場に、マッターホルン初登頂150周年のカウントダウン表示が出ていた。TISSOT時計は、7月14日の「その時」まで「7日20時間20分33秒」だと告げていた。

 マッターホルン初登頂150周年と聞いて、ふと“日本のマッターホルン”槍ヶ岳のことを思った。播隆上人が槍ヶ岳に初登頂したのは、文政11年(1828年)7月28日(新暦では9月7日)のことだ。“本家”マッターホルンよりも37年早い。
 ところで、アルプスがスポーツとして登られるようになったのは、1786年のモンブラン初登頂が始まりだと言われている。この時期の日本の登山は狩猟や宗教登山で、明治になっても測量登山だった。「日本山岳会」という日本最初の山岳クラブが作られたのは、1905年(明治38年)のことだ。新田次郎の『劔岳《点の記》』の舞台は1906~7年で、山岳会の黎明期が本筋と対の風景として描かれている。スポーツとしての登山の歴史は、“本家”アルプスの方が120年も早い。山との付き合い方も、それだけ大人ってことだ。

 夕食は簡単に済まそうと、ちょっと慣れてきたCOOPで調達し、ホテルの部屋で生ハムをかじりながら缶ビールを飲んだ。

偶然、アルプホルンの演奏に出会った
チーズフォンデュは、塩味が強くてちょっとしつこかった。チーズフォンデュにビールはダメだとガイドさんが言ってたので、赤ワインにした。
5つ星のホテルが2軒あって、そこが駅との送迎に馬車を使っている 観光用の馬車もあって、いずれとも判別せず
ツェルマット駅前広場。「150」の文字が見えるTISSOT時計は、「7日20時間20分33秒」を表示していた。マッターホルン初登頂から150周年となる7月14日の「その時」までのカウントダウンのようだ 17時23分、バーンホフ通りを多くの人が行き交う
通りに面したお洒落なテラス席で過ごす人たち 左のビールが1.7フラン、ハイネケンが1.9フラン。日本の価格と同水準だ。違いは、売り場のビールがそれほど冷えていないこと
■7月7日(火)■
 ツェルマット最後の朝を迎えた。今日も晴れている。
 6時30分頃から散歩に出た。ホテルの庭を抜けて扉を開けると、ゴルナーグラート駅のホームに通じる近道があった。線路を横切って通りに出ると、そのままマッター・フィスパ川の畔に出ることができた。そこからマッターホルンの頂を眺めつつ、川縁の道を歩いた。相変わらずの激流は怖いほどだが、この景色の中なら毎日でも散歩したい。
 日本人がよく写真を撮りに訪れる橋を渡り、教会の所まで来るとあとは昨日のハイキング帰りの道だ。小さな村だから、地理を呑み込むのも至って簡単だ。教会の前がキルヒ広場で、ここが村の中心。それと気づかなかったが、教会の隣が村役場だ。広場にはマーモットの泉があり、5つ星ホテル「ツェルマッターホフ」がデンと構えている。
 そこから駅に向かってメインストリートのバーンホフ通りがあり、道の両側にレストランや土産店が並んでいる。早朝の通りに人はなく、昼間は殆ど見かけない、荷物運搬用の電気トラックが忙しく走っている。パン屋さんはさすがに朝が早く、灯りの見える店内でパンを並べている女性がウィンドウ越しに見えた。--7時30分からの私たちの朝食時間も近い。

ゴルナーグラート鉄道の線路を横切り、朝の散歩に出た 今朝もきれいにマッターホルンが見えた
6時37分、マッターホルンが「ハチマキ」をつけた
6時55分、マッターホルンの「ハチマキ」が2本に
通称「日本人橋」と呼ばれる日本人旅行者が団体で写真を撮りに来るポイント。個人的には、手前の教会と一緒に映る川縁の方がいいと思うが… 「日本人橋」を渡った先にある教会
教会前の広場には粋なプランターが置かれていた 広場の下に墓地がある。きれいに花が植え付けられている
早朝のバーンホフ通りは静寂に包まれている パン屋さんだけは店を開けていた
 マッターホルンを眺めて過ごす3泊4日が終わる。4日間ともマッターホルンの頂を見ることができた幸運に感謝し、モンブラン地域へと移動する。


アルプスの山たちを訪ねて③に続く

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