アルプスの山たちを訪ねて①

2015年7月1日~4日朝

■7月1日(水)■
 2015年7月1日午前10時25分、KLMオランダ航空KL0868便はアムステルダムに向けて関西空港を飛び立った。待ちに待ったスイス旅行の始まりである。

 今回のスイス旅行は、日本旅行の「絶景の山岳ホテルに泊まるスイス10日」というツアーである。大手旅行社の企画ツアーとしてはプチマニアックなものだ。内容は旅行記の中で明らかになるだろう。
 ツアー参加者は、私たち夫婦を含めて8名。企画がプチマニアックなら、参加者もまた相当にマニアックな方たちだ。夫婦での参加が私たちの他に2組あって、大阪のM夫妻は毎年、京都のI夫妻は年に2~3回海外旅行をしていて、その中には勿論スイスも含まれている。福岡のIさんはさらに強者で、スイスに通い詰めて今度が25回目だとか…。以上の方たちはほぼ同世代ながら、その中では私たちが若年ということになる。岡山のYさんは70代後半の老紳士で、昨年からアジアや南米を訪ね歩いておられる。つまり、私たち以外はみな、海外旅行のベテランだ。男性5名、女性3名のツアーグループを束ねる添乗員のOさんは、私たちより少し若い女性だ。この方の並外れた才能は、ツアー中に遺憾なく発揮されることになるのだが、これもまた徐々に明らかにしていこう。

 スイスはサマータイムを採っているため日本との時差は7時間になる。関空離陸の7月1日10時25分は、スイス時間では7月1日3時25分だ。私たちが家を出たのは6時だから、そのころスイスは6月30日の23時だったわけだ。--以後、帰国までの時刻表記はすべてスイス時間とする。

 激しい雨の中を離陸したKLM機は、シベリアの上空からスカンジナビア半島を通過し、11時間30分の飛行の後14時55分にアムステルダム空港に着陸した。そして、長い誘導路をひたすら走り、15時15分到着と相成った。気温は35度、搭乗ゲートは蒸し風呂のようだ。ヨーロッパを襲っている異常高温は、この後の私たちを苦しめることになる。
 スイスはEUには加盟していないがEUシェンゲン協定に加盟しているため、域内最初の到着地であるここで入国審査を受ける。その後、18時発KL1963便にてスイスをめざし、19時20分にチューリヒ空港に到着。そこからバスでベルンに向かい、最初の宿泊ホテルであるアンバサダーに着いたのは21時15分だった。家を出てから22時間15分、疲れた。

 とにかく暑い。スイスは涼しいというイメージはどこへやら、部屋の中は湿気こそないが暑い。エアコンも扇風機さえもない。エアコンは、その後どこへ行ってもなかったし、冷蔵庫も置いてないことが多かった。したがって、生ぬるいペットボトルのミネラルウォーターを飲むしかなかった。バスの運転手さんから買った50cl(ヨーロッパではセンチリットルが健在で、500mlの方が少数だった)のペットボトルが2スイスフラン(関空での両替レートが約137円。水1本で約280円になる)という高さ。スイスは物価が高いとは聞いていたが、ちょっとビックリだ。
 ビックリと言えば、夜の9時を過ぎているのにまだ明るい。ホテルの部屋に入った頃が日の入り時刻だ。理屈としては、緯度が高いので夏場は日本よりも昼の時間が長いということだが、実際にその場に居合わせてみるとカラダが付いていかない。

 取り敢えずスーツケースの荷を解いて、シャワーを浴びて…、気が付けば日付が変わろうとしている。

関空、豪雨の中の離陸 機内食とハイネケン スカンジナビア半島上空通過 アムステルダム空港、35℃の酷暑

                     
(地図は「地球の歩き方」より転載加工させていただきました)
 今後の話を分かりやすくするために、地図の説明をしておこう。
 1日、アムステルダムからの飛行機はチューリヒに着いた。その後、バスでベルンまで行って、ホテル泊。
 2日はベルン観光の後、バスでトゥーン湖畔まで移動して、クルーズ。そして、ユングフラウへ。
 3日はユングフラウ地方で過ごし、4日にルツェルン観光をして、マッターホルン地域へ移動。
 5、6日はマッターホルン地域で過ごす。
 7日にモンブラン地方に移動。8日を当地で過ごし、9日の朝ジュネーブから帰国の途につく。
■7月2日(木)■
 朝は6時半ごろにベッドを離れた。24時間起きていた疲れも、時差の影響も、ほとんど感じない。
 部屋の窓の下にはトラムが走っていて、タブロイド判の新聞を読んでいる人が見える。少し遠くに目を遣れば、小高い丘の斜面に瀟洒な住宅が建っている。ああ、ここはスイスなんだと実感する。

トラムが絶え間なく往来している 丘の上の住宅にスイスを実感する
 ベルンはスイスの首都で、旧市街は1983年に世界文化遺産に登録されている。私たちは、高台にあるバラ公園から湾曲して流れるアーレ川に囲まれた市街を見下ろし、その後に街中を散策した。公園の温度計は35度を指している。
アーレ川が市街を包み込むように流れる 煉瓦色の屋根と緑が美しい街に大聖堂の塔が聳える
煙突と屋根裏部屋のような構造物が特徴的だ 道路には石畳が敷き詰められている
大聖堂の尖塔は100mあり、スイス随一の高さを誇る 大聖堂は1421年に着工し、1893年に完成した
大聖堂の正面入り口には「最後の審判」のレリーフがある 1281年から時を刻む時計塔では毎時56分から仕掛けが動くのだが、いささか肩すかしを喰ってしまった
スイスで最初に食べた昼食 スイスで最初に飲んだビール
 ベルンのレストランで昼食を摂り、バスでシュピーツに移動。ここからインターラーケンまで1時間のトゥーン湖クルーズだ。風爽やかにと行きたいところだが、とにかく陽射しを避けなきゃ焦げるように暑い。この暑さの異常さは、スイス旅行25回目のIさんが「経験したことがない」と言われる“お墨付き”ものだ。
 2階席の船尾近くのベンチに座ると、近くに日本人の女性が2人乗り合わせておられた。母娘のようだ。話が旅行期間に及んだ時、「3ヶ月、スイスにいるんです。…」と、こともなげに仰るではないか。我らが10日間もチト長いと思っていたが、上には上があるものだ。

 我らが10日間のスイス旅行は、冒頭で“プチマニアック”と書いたが、同時に“プチブルジョア”でもある。個人的には“プチマニアック”だけでいいと思っていたのだが、…。クルーズ船の2階席というのは“1等席”で、爽やかな風を受けてアルプスの山々を望めたわけだ(実際には酷暑に泣かされたけど)。この“1等席”というのはその後の電車の席も然りで、おかげで実に快適な旅をさせていただいた。“プチブルジョア”は当然旅行費用に反映されており、よく似たコースのよくある8日間ツアーの2回分を下らない。庶民としては懐が痛いが、“プチマニアック”を手に入れるための投資だ。それでも添乗員さんはコスパの高いツアーだと言っておられたから、多分そうなんだろう。

クルーズ船の船尾から湖岸の村を眺める 湖岸は避暑地になっていて、多くの人が訪れていた
【地図説明】

 2日にトゥーン湖クルーズ(地図上の青線)をした後、インターラーケンからバスでラウターブルンネンへ(茶線)。そこから登山電車でクライネシャイデックまで上がって(緑線)ホテル泊。
 3日は、登山電車でユングフラウヨッホまで行く(オレンジ線)。帰りは電車を1駅手前で降り、クライネシャイデックまでハイキング。夕方、登山電車でグリンデルワルトへ下って(黄緑線)ホテル泊。
 4日の朝、バスでインターラーケン方向へ移動。
 クルーズ船はインターラーケン・ヴェスト(西駅のこと。ちなみに東駅はオスト)の前に停まり、私たちはそこからバスでラウターブルンネンに向かった。
 ちょっとバスのことを書いておこう。1日、2日、4日、7・8日、9日と合計5台のバスを使ったが、いずれも大型観光バスがやってきた。添乗員さんはいつも最前列に座っていたが、8人のツアラーは思い思い好き勝手に座り、また移動した。

 ラウターブルンネンはユングフラウの懐にあり、氷河に削られてできたU字谷の断崖に挟まれた標高は797mの小さな村だ。高さ約300mの断崖からシュタウプバッハの滝が落ちている。電車の時間待ちの時間を利用して、近くまで見に行った。
 駅前の小さなスーパーで、日本でもお馴染みのエヴィアンが1本0.8スイスフラン(約110円)で売ってあった。やっと普通の値段で水が手に入った。6本セットを4.8フランで買った。セットだからと言って値引きしないところが、日本とはちょっと違う。

シュタウプバッハの滝 瀑布をアップで
 16時過ぎ、ヴェンゲルアルプ鉄道の登山電車が走り出した。アナウンスも何もなく、突然ドアが閉まり、突然走り出す。
 駅を出てすぐに、シュタウプバッハの滝と教会がセットで撮れるポイントが一瞬だけある。ミーハーっぽいが、撮っておいた。電車は、797mのラウターブルンネンと2061mのクライネ・シャイデックの標高差1264mを、50分ほどかけて登っていく。
 “プチブル”効果と言うべきか。私たち9人のために十分すぎる座席がリザーブされていて、おかげで、右に左に前に後ろにとカメラ片手に動き回れた。

シュタウプバッハの滝と村の教会 車窓から雪を冠した山がいくつも見える
緑の中を電車が下りてくる 擦れ違いの瞬間、身を乗り出した人を避けたら、カメラが傾いた
やがて、ユングフラウの雄姿が大きく迫ってきた 反対側の車窓からは、アイガーが見えてきた
 17時前、電車はクライネ・シャイデック駅に着いた。2061mの高所も、陽射しが暑い。
 駅舎のすぐ右奥に、ホテルベルビュー・デザルプが建っている。クライネ・シャイデックに唯一のホテルらしいホテルである。ホテルベルビューの完成は1864年で、今から150年前、日本では江戸時代が終わろうとしている頃だ。1896年には右横にホテルデザルプが完成し、その後1914年にベルビューに売却された。その後、1947年に改築されて、現在に至っている。歴史的建築物になっているそうで、決して今風の快適さはないが重厚さを感じる。

電車到着直前、駅舎と右に宿泊ホテルが見える ホテルベルビュー・デザルプには150年の歴史
ホテルはアイガー北壁を背に建っている 部屋からアイガーが見える、絶好のロケーション
 18時30分からの夕食前と、食事が終わった後の20時過ぎからの2度、ホテル周辺の散策に出かけた。
 駅舎脇の線路を渡った丘の上に、新田次郎のモニュメントがある。新田次郎は、『槍ヶ岳開山』や『劔岳〈点の記〉』などの山岳小説の第一人者だが、アイガーをはじめスイスを題材にした小説も書いている。そんなこともあって、1980年に亡くなった後、夫人によってアイガーが見えるこの場所に碑が設置された。私たちは二人とも新田作品のファンゆえ、外すわけにはいかない。

碑には「新田次郎 ここに眠る」の文字が モニュメントの周りにはたくさんの花が咲いていた
 1864年のベルビューホテル完成から30年を経た1893年、ラウターブルンネン~クライネ・シャイデック(今日乗車)、グリンデルワルト~クライネ・シャイデック(明日乗車)に登山鉄道が開通した。日本では、日清戦争の前年のことだ。さらに、1912年には、ここからユングフラウヨッホまでの登山鉄道(明日乗車)が開通する。この鉄道については明日くわしく触れるけど、100年も前に、アイガーの岩峰にトンネルを掘って標高3454mまで電車を走らせたのだ。ホント、スイス人はスゴイ。

20時33分、業務用車輌がユングフラウから下りてきた 薄暮の中、明日の運転を待つユングフラウ鉄道
 夕刻の散歩で、たくさんの花たちと出会った。日本の高山植物を多く観てきたが、よく似た花も全く見たこともない花もあって、時の経つのも忘れるほどだった。(なお、分かる範囲で花の名前を記しているが、原則として和名にした。現地の名前だと、日本との類似を感じ取れない。)
キジムシロ ハナウド
ウサギソウ イブキジャコウソウ
シラタマソウ ワスレナグサ
フウロソウ アルプスゲンゲ
タカネシオガマ エーリゲラプンツェル
ブラウンツメクサ
 21時、日の入り時刻が近くなり、ユングフラウ三山は赤みを帯びてきた。登山用語ではアーベントロートという。アーベントロートやモルゲンロート(朝焼け)が見られることが、山岳ホテル宿泊の“プチマニ”ツアーを選んだ理由だ。まず、その最初の目的が果たせた。天気の善し悪しは時の運、感動的だ。
 ホテルの部屋に戻って、もう一度アイガー北壁を眺める。雲を纏ったアイガーが幻想的だ。

アーベントロートに染まるアイガー メンヒ
ユングフラウ 本日最後のアイガー
 古き時代のイギリスと言えばロマンチックに感じるが、浴室には足つきのバスタブがポツンと置かれ、お湯と水の蛇口はあるがシャワーがない。もちろん、洗い場などあるはずもない。当時の人たちはどうやってシャンプーしていたんだろうと、遠い昔に思いを馳せてはみたが妙案は浮かばなかった。

■7月3日(金)■
 日の出を見ようと、5時に起きた。部屋の窓から東の空を見ると、ヴェッターホルンの上空が僅かに赤らんでいる。麓にあるグリンデルワルトの村の灯りも見えている。急いで身支度をし、5時半頃から朝の散歩に出かけた。
 ホテルを出て登山鉄道の線路を渡り、15分ほど坂道を上った所にレストランがある。その一角の岩の上に展望台が設けられており、私たちはそこから朝陽を眺めた。陽が昇るにつれ、ユングフラウの山々が夜色から昼色に移ろい、やがてシルバーホルンの純白の雪が輝いた。
 道すがらユングフラウの花たちを写真に収め、その見たこともない名も知らぬ花姿に時を忘れた。朝食時間が近づき、急ぎホテルに戻った。グリンデルワルトへ下る鉄道線路を渡った時、ちょうど鉄路の上に朝陽が光っていた。

5時04分、ヴェッターホルンの上空が色づいてきた 5時38分、アイガー北壁はまだ明けない
5時48分、日の出 6時02分、ヴェッターホルンの東に朝日が昇る
6時03分、アイガー北壁が朝を迎える 6時05分、ヴェッターホルンが朝の光に包まれる
ハイキング道脇の池にアイガーとメンヒが映っている 朝の光の中のユングフラウ
写真中央の白と茶の建物がホテル
ホテルから坂道を約15分、レストランの一角に展望台がある 6時03分、メンヒ
6時04分、ユングフラウ 6時04分、シルバーホルンが朝陽に輝く
花とメンヒ、ユングフラウ 花とアイガー、メンヒ
花とメンヒ、ユングフラウ 花と池に映るアイガー、メンヒ
アルペンローゼ ゲンゲ
ミヤコグサ イワダイコンソウ
ホタルブクロ クマノアシツメグサ
ホタルブクロ タマシャジン
クワガタソウ リンドウ
イブキトラノオ
イワダイコンソウ イワダイコンソウ
アザミ
ムラサキフウロソウ
デイジー
シシウド グリンデルワルトに向かう鉄路に朝の光
 クライネ・シャイデックを8時前に発車するユングフラウ鉄道の初発電車に乗り、ユングフラウヨッホをめざした。

 ユングフラウ鉄道は、1895年に工事が始まり1912年に開通している。全長9.3kmのうち7.1kmがトンネルである。アイガーとメンヒの固い岩盤を掘削し、標高3454mのヨッホ駅に通じている。しかも、当初から電車(蒸気機関車ではない)だった。
 ちょっと鉄道の蘊蓄を…。登山電車は歯車式の滑り止め装置を使っているが、これをラックレール式鉄道という。日本では普通アプト式鉄道と言うが、これは厳密というと正しくない。ラックレール式鉄道には幾つかの種類があって、その1つにアプト式がある。アプト式は位相の違う2、3枚の板状のラックレールを使っている。4日に乗車するゴルナーグラード鉄道がこの方式を採っている。レールの形をした鋼材に歯をつけたラックルールが1つのものは、シュトループ式(またはシュトルプ式)と言う。ラウターブルンネン~クライネ・シャイデック~グリンデルワルトのヴェンゲルアルプ鉄道や、このユングフラウ鉄道は、シュトループ式を採用している(すぐ上にある鉄路写真にシュトループ式ラックレールが見える)。歯が少しずつずらして2、3列並んでいるアプト式の方が歯車が確実に噛み合う。

 さて、アイガーグレッチャー駅を過ぎると間もなく電車はトンネルに入る。トンネルの途中に2回停車する駅がある。最初がアイガーヴァント駅(2865m、“アイガーの壁”の意)で、アイガー北壁のど真ん中にある。停車時間は5分で、覗き窓からの眺望を楽しむことができる。なお、この覗き窓は、トンネル工事の際に土を捨てた穴である。そう言えば、立山の室堂から黒四の発電所に通じる関電トンネルにも同様の“窓”があって、そこから劔岳が見える。
 次の停車駅アイスメーア(3160m、“氷の海”の意)は、ちょうど山の向こう側になる。ユングフラウ連山の南側が見え、足元にフィッシャー氷河がある。正面左の嶺はシュレックホルン(4078m)のようだ。

 クライネ・シャイデックから52分で、標高3454m、「トップ・オブ・ヨーロッパ」ユングフラウヨッホ駅に到着。地下駅は大きなビルになっていて、その外れからエレベーターで上がると標高3571mのスフィンクス展望台である。展望台には屋内テラスと屋外バルコニーがあり、さらに「プラトー」と呼ばれる万年雪のテラスに出ることもできる。
 ヨッホとは山のピークとピークの間の鞍部を意味する語で、展望台はメンヒとユングフラウを結ぶ稜線の鞍部に位置する。初発電車で上がってきたのだから、その乗客以外に人はいない。西にユングフラウ、東にメンヒの眺望を独り占めの気分。これもクライネ・シャイデック宿泊の賜物である。
 万年雪のテラスから南にアレッチ氷河が流れ出している。アレッチ氷河はヨーロッパ最長の氷河で、約22kmある。氷の厚さは約1000mという。2001年に世界自然遺産に登録されている。眼前に広がる光景に圧倒される。ところで、スイスには120余りの氷河があるが、来るたびに氷河が痩せ細っていると、添乗員さんもIさんも口を揃えて言っておられた。
 ついでながら、ヨッホのビルには「氷の宮殿」という氷河のトンネルがあって、氷像のキャラリーがあったりする。不思議な空間ではあるが、氷河の中にいるという実感は持てない。

 2階のレストランでホットコーヒーをオーダーし、アレッチ氷河を眺めながら集合までの時間を過ごした。なんとも贅沢な刻が流れていく。
 11時発の下り電車に乗り、終点の手前アイガーグレッチャー駅で降りた。

アイガー北壁の覗き窓からの眺め。濃い緑の山並みとアイガーの岩壁が交わる左下辺りがクライネ・シャイデック アイスメーア駅の覗き窓。足元にフィッシャー氷河が広がる。左奥の嶺はシュレックホルン?
アイスメーア駅に停車中の電車 ユングフラウヨッホ展望台からクライネ・シャイデックを見る。中央手前が駅舎。駅舎の右にあるのがホテル。駅舎とホテルの間から右上に延びる道が朝の散歩道で、上り詰めた地点の建物が展望台
標高3571mのスフィンクス展望台 ユングフラウ頂上、4158m
ユングラウ、左の山はシルバーホルン ユングフラウの山小屋。左の写真で、右稜線の同じ雪形の部分に建っている
メンヒ頂上、4107m メンヒ山頂部、光と陰のコントラストが美しい
名前は分からないが、きれいな嶺だ スフィンクス展望台はこんな岩峰に建てられている
展望台のすぐ右手からアレッチ氷河が始まる アレッチ氷河--その1
アレッチ氷河--その2 アレッチ氷河--その3
氷の宮殿は氷河のトンネルだ 氷の宮殿に置かれた氷像
 アイガーグレッチャー駅には11時45分に着いた。グレッチャーは氷河のことだから、ここは「アイガー氷河駅」。駅舎のすぐ向こうにアイガー氷河の先端がある。
 駅舎に併設されたレストランで昼食を摂った。スイス料理の1つで、ラクレットだった。ラクレットは、ラクレットチーズを温めて、溶け出したところをゆでたジャガイモなどにつけて食べる料理だ。それにしても、スイスに来てからチーズとジャガイモのオンパレードである。

 アイガーグレッチャー(標高2320m)からクライネ・シャイデック(標高2061m)まで、ゆっくり花と山を見ながら250mほど下る。楽々ハイキングコースなのだが、日本語ガイドが付いてくれた。関東生まれの日本人女性で、夏場の3ヶ月ほどをスイスで過ごす“期間労働者”だ。一定の試験をクリアすれば、アルペンガイドの資格が得られるそうだ。
 ガイドさんを誰よりも心待ちにしていたのは我が妻で、1つ1つの花の名を聞いては手帳に書き留めていた。しかし、書き留めきれないほどに、花の種類と量が半端なくスゴイ。ガイドさんによると、異常気象のせいで、8月の末頃に咲く花までもが一斉に開花してしまったそうだ。このあとのツアーガイドはどうなるのだろうと、そんな心配をしておられた。私たちにすれば、この上なくラッキーだが…。実は、このツアー企画は7月1日発と22日発の2回あって、花を見るならと1日発を選んだのだが、大当たりだったわけだ。それにしても、異常な暑さだ。これもガイドさんの話だが、昨日、どこかの線路が暑さで曲がってしまって電車が止まったそうな。0.8フランのエヴィアンを心置きなく飲んで、山と花に酔った。

アイガーグレッチャー駅11時45分着 アイガーグレッチャー駅とアイガー。アイガーに向かう線路は左にカーブし、まもなく長いトンネルに入る
ユングフラウ鉄道の赤い車輌が行き違う 駅のレストランで昼食。メニューはラクレット
レストランのテラスの向こうはアイガーだ アイガー氷河がすぐそこまで迫っている
迫り来る氷河とメンヒ こちらはユングフラウ
駅舎の下からハイキングコースが始まる 12時40分、最初のハイキングスタート
スタート直後、駅舎とアイガーを振り返る 一面の花畑!
前景の緑と山のコントラストがキレイ。アイガーとメンヒ そして、ユングフラウ
花畑とユングフラウ。見る位置によって刻々と姿を変えていくのがいい 花畑とアイガー
花畑とメンヒ クライネ・シャイデック方面を見下ろす。途中に見えているのは、人工池
アイガーと登山電車。このコントラストが実にいい 道標のある風景。スイスのハイキングコースは延べ5万kmと言われており、とてもよく整備されている
この谷の間を下っていくと、昨日電車で来た村に通じる 多くのハイカーが行き交う
向こうの峰にも展望台があって、ユングフラウの山々が望める 一面の花畑--花畑の“正体”は牧草地で、この花たちも放牧される牛たちのエサだ。そもそも、アルプスの語源「アルプ」は、スイスの森林限界を過ぎた所に広がる夏季放牧場を指す語だ。(ケルト語で「岩山」を指すアルプが語源という説もある)
まさに百花繚乱の風景だ 荒々しいアイガーの麓が花畑に繋がっている
登山電車が下りてきた コバルトブルーの水面にアイガーが映える
小さな水溜まりにもアイガーとメンヒが収まっていた 花畑とクライネ・シャイデック駅
花畑とアイガー。飽きることのない景色だ 見下ろす谷の底にグリンデルワルトがある。ヴェッターホルンの白が絶妙のアクセントになっている
 ハイキングで出会った花たちのアルバム。

ワスレナグサ クマノアシツメグサとオオバコ
カラフトゲンゲ ハクサンイチゲ
シレネリオイカ
ハナウド ミヤコグサ
ミヤコグサ コケマンテマ
ホシガタリンドウ
ブキジャコウソウ マーガレット
リンドウ アルプスゲンゲ
アルペンアスター タマキンバイ
アルペンローゼ
リュウキンカ ユタマタバナ
アディノステレスアリアリアエ チドリソウ
 クライネ・シャイデック駅の日陰でへたり込むように休憩をとり、15時30分発のヴェンゲルアルプ鉄道でグリンデルワルトへ下った。ユングフラウとメンヒとはここでお別れである。
 電車は、アイガー北壁の裾野から東壁の裾野を走り下りていく。グリンデルワルトという地名は、私の中では20年も昔から憧れの地として記憶されてきた。と言うのは、20年ほど前に制作した3000ピースのジグソーパズルの絵柄というのが、ヴェッターホルンを背にしたグリンデルワルトの村であった。いつかこんな所へ行きたい、歩きたいと思ってきた風景が、今まさに車窓に広がっている。16時12分、標高1027mのグリンデルワルト駅のホームに電車は静かに停車した。

 駅から歩いて5分ほどのところに今宵の宿であるベルベデーレホテルがあった。
 夕食は駅近くのレストランで予約されており、ミートフォンデュだった。ここもやっぱり暑かった。
 夕食後、駅の周辺を散歩した。駅前に「KIOSK」がある。「キオスクは駅の中、そんなの常識…」って、日本が本家じゃないの?少し先に、なぜか「mont-bell」の看板がある。入ってみると、日本人スタッフが声を掛けてきた。これは紛れもなく、日本のモンベルだ。スイスは涼しい所、高山は寒いと思い込んで来たから、スーツケースの中は長袖と防寒着ばかりだった。たまらず、ここで「グリンデルワルト限定」の半袖Tシャツを買った。「モンベルの店員でも、ここへ来ないと買えないんですよ」ってな言葉に弱いんだよな、並みの日本人は。よし、今度モンベル奈良店へ来て行ってやろう。
 モンベルの道向かいのビルに、「COOP」がある。COOPはスイスのスーパーマーケットの店名だ。すでに閉店しているので、6本4.8フランのエヴィアンは明朝8時の開店後に買いに来るしかない。ビルの屋上で、山際に沈む夕陽を見た。時計を見ると、20時34分だった。
 ホテルの部屋に戻ると、窓を全開にして風を通した。私たちの部屋は2階アイガー側の角部屋で、バルコニーに出れば正面に村の牧歌的風景が広がり、その左端がアイガーになっている。もう一方の窓からは駅方面が見え、正面がシュレックホルン(4078m)でその左にヴェッターホルン(3692m)が見える。まさしく一等席だ。私たちは、シャワーの後バルコニーに置かれた椅子にもたれ、遅くまで暮れゆくアイガーの岩塊を見ていた。

クライネ・シャイデック駅のプレート。15時30分の電車に乗る 駅舎に設置された郵便ポスト。郵便はすべて黄色だ
車窓から見る村の風景 グリンデルワルト駅のホーム。右が私たちの乗ってきたヴェンゲルアルプ鉄道の車輌、左はベルナーオーバーラント鉄道インターラーケン行きの車輌。背後の山は、右がシュレックホルンで左がヴェッターホルン
宿泊ホテルのベルベデーレ。四つ星が付いている 行く先々で銘柄の違うビールに出会える
20時34分、山あいに日が沈む 20時46分、ヴェッターホルンとシュレックホルン
夕暮れ前のアイガーとグリンデルワルトの家並み 21時、ヴェッターホルン(3692m)が染まり始める
シュレックホルン(4078m)も夕照に色づく 21時20分、ヴェッターホルンの夕暮れ
シュレックホルンの夕暮れ アイガーの夕暮れ
22時03分、山々に夜が来た アイガーも夜を迎えた
■7月4日(土)■
 早朝の山を見たさに、5時前に起きた。バルコニーに出てアイガーを見ると、北壁のすぐ脇に明け方の満月が照っていた。幻想的な美しさだ。北壁の中に黄色い点が見えるのは、昨日乗ったユングフラウ鉄道の覗き窓の灯りだ。さらに、東壁の稜線上には山小屋の灯りが小さな星のように見えている。
 5時50分、アイガー山頂部の雪に朝陽が届き始めた。やがて岩壁がモルゲンロートに染まっていった。興奮を抑えられず何枚もシャッターを切った。さらに、先ほど見た黄色い点を手がかりに、覗き窓と山小屋を特定して撮影した。ここまでくるとマニアの世界だと、我ながら思う。
 ホテルからは日の出そのものは見えないが、日の出直後の斜光がヴェッターホルンの山頂部に向けて照射されていた。グリンデルワルトの村に陽が差すのはもうしばらく後になる。柔らかい明るさの中で静に朝を迎えた家々の佇まいは、いつまでも見ていたいものだった。

5時02分、アイガーに満月が アイガー北壁と満月。北壁の中央やや下に黄色く見えるのは、覗き窓の灯り
5時52分、月はアイガーを離れ、雪面に朝陽が照り注ぐ アイガーに朝が訪れる
アイガー北壁にあるユングフラウ鉄道の覗き窓。右上の写真の右端中央部の黒い部分にある アイガーの山小屋。通常の登山ルートは、上の写真の東壁稜線で、左端の大きなピークから右へ2つ目の小さなピークに小屋がある
アイガー山頂が朝陽に染まる シュレックホルンとアイガーの奥にある山々が朝陽に照らし出される
右上の写真の中央部最奥の嶺 上の写真の右上部分の嶺
ヴェッターホルンの左下から朝の陽光が照射される 5時59分、グリンデルワルトの村も明けてきた
村の佇まいがなんてもステキだ クライネ・シャイデックに向かう線路が見える
 ユングフラウ三山をはじめ、インターラーケンからグリンデルワルトを含む一帯は、「ベルナーオーバーラント」と呼ばれている。ベルン州の高地という意味だ。

 話は横道に逸れるが、スイスは九州よりも小さな国で、そこに800万人ほどの人が住んでいる。国は26の州に分かれていて、それぞれの州の自治権が強い。この国は連邦国家である。

 2日のベルン観光の後、私たちはベルナーオーバーラントエリアで過ごしてきた。そして、今日は、次なる目的地マッターホルンのあるヴァリスエリアに移動する。


アルプスの山たちを訪ねて②に続く

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