150901 One Shot 2015.9

2015年9月のOneShotアルバムです。

9月2日(水)

秋霖

今年の秋は、「秋の長雨」とともにやってきました。
9月3日(木)

ヤブランのロイヤルパープルが曇天の下で冴えていました。

すぐ脇にはセイロンライティア(7月29日に紹介している白い花)が咲いています。蕾も盛んです。花札には「真夏の花壇を彩る白き貴婦人」とキャッチコピーが付されていました。夏と秋がせめぎ合っています。
9月4日(金)

青紫蘇と秋ナスの花

シソの花は、ほんの数ミリの小さな花です。小さな花にはそれに相応しい大きさのハチが留まっていました。
9月5日(土)

今回も数ミリの小さな花たちです。この時期って、紫色系の花が多いですね。
9月7日(月)

廃物利用。物入れの片付けで出てきたヤカンに、庭先の花を生けてみました。現役引退後の生活の豊かさというのは、凡そこうした「あそびごころ」に価値を見いだせるかどうかで、その質が決まってくるように思います。
9月10日(木)

雲間から太陽が久方ぶりに顔を出しました。
クヌギの実を撮ってきました。この緑が茶色に変わり、やがてドングリが落ちていきます。
足元の蔓草にかわいい花が開いていました。名前など知るよしもなく、「雑草」という範疇でしか見ていなかった植物です。
緑色のクヌギの実も蔓草の花も、初めて見ました。時間の流れ方が変わると、見える世界も変わるのだと実感。新鮮な感動の日々です。
9月11日(金)

孤高のトリ

9月になって初めて、青空の朝を迎えました。立木のてっぺんに1羽のサギがスッと立っていました。孤高のトリは何分かそのままの姿でいて、やがて水場に降りていきました。

稔りの秋

頭を垂れる稲穂が黄金に輝き、収穫の刻が近いことを告げています。
9月11日(金) その2

上の2枚はミズヒキソウ。和名の由来は細くて長い花穂を祝儀封筒や進物にかける水引にたとえたものと言われています。
2段目は、ツリガネニンジンと開花間近のヒガンバナ。
3段目は、ゲンノショウコ(紅紫花は西日本に多く、東日本では白紫花が多く見られるそうです)とサワフタギの実(5月13日に白い花を撮ってアップしています)。
9月15日(火)

ヒガンバナが咲き始めました

彼岸花という名前は、秋の彼岸の時期に花が咲くからです。
ヒガンバナの別名「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」は、manjusakaというサンスクリット語からきており、“天界に咲く花”という意味だそうです。おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典に由来するとのこと。しかし、一般には毒花、不吉な花というイメージがあります。「死人花(しびとばな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」などという怖い呼び名は、動物が土葬した死体を掘り返さないように、アルカロイドという毒をもつこの花を墓地に植えたためだとか…。
9月18日(金)

家の下に咲いているコスモスを撮ろうと坂を下りていると、金木犀の甘い香りが漂ってきました。見ると、いつの間にかたくさんの蕾が出ていて、その内のいくつかはほころんでいました。

ところで、コスモスは通常カタカナで書くから、きっと近年の渡来種だろうと調べてみると、メキシコ原産で明治になってから日本に入ってきたようです。「秋桜」という漢字は当て字で、起源は定かでありませんが、1977年に山口百恵が歌ったさだまさし作詞の「秋桜」によって一般名詞として認知されるようになったようです。
9月19日(土)

家の前の田んぼで収穫が始まりました。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言いますが、国会は「数は正義だ」の世界になってしまい、実りの少ない頭を上げっぱなし…ですね。本日未明、「安全保障関連法(別名 戦争法)」が成立しました。
9月20日(日)

ススキの穂が風に揺れていました。
9月23日(水)

秋分の日の朝、刈田は霧に包まれていました。
大和高原では放射冷却による朝霧の季節を迎えたようです。6時半頃から霧が深くなり、7時前には一面乳白色の世界になりました。陽が高くなるにつれ、7時半頃には天頂部分に青空が見え、20分ほどで快晴の秋空に変わりました。
9月30日(水)

9月が終わります。野の花も終わりが近いようです。
それにしても、家の周りに咲く花たちの多さに驚きの連続の半年でした。と同時に、その花たちの名前の知らなさにも愕然とする半年でした。まあそれでも変わったことと言えば、花たちのいのちの輝きに心を寄せつつ草刈りをするようになったことですかね。



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